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会社を辞めて旅に出た ~いつのまにか雲南定住~

会社を辞めて旅に出た ~いつのまにか雲南定住~

花の町、ママサ

花の町、ママサ(もう一つのトラジャ)

ママサ・バレー
もう一つのトラジャ、ママサバレー
 ランテパオ滞在中、隣室に欧米人ツーリストから聞いた話では、ランテパオの西方100キロ位のところにママサバレーというところがあり、2拍3日のトレッキングをしてきたとのこと。そして、トレッキング途中の景色が、とても美しかったと私に教えてくれた。残念なことにそのトレッキング費用は結構かかるようで、一人旅をしている私にとっては大きな負担だ。何人か仲間がいれば割安になりトレッキングも可能なんだけれどなあ、とこの時ばかりはグループ旅行者が恨めしい。
 未練がましくそのママサバレーをガイドブックでチェックしてみると、ママサバレーにも船形のトコナンハウスがあり、西タナトラジャとも呼ばれる、トラジャ族の住む盆地であることが分かった。また、ママサの周辺には温泉があるらしい。これは行くしかない!しかし、ここランテパオからはママサバレーへダイレクトで行く道路はなく、一旦マカッサル方面へポレワリまで戻ってから行かねばならないようだ。幸いにも、週に3度、マカレからの直行便があるらしい。
 早速、ベモに乗って(30分ほど)マカレにバスチケットの予約をしに行った。マカレの町にはバスターミナルといった立派なものはなく、通行人に聞いて探し当てたのが、商店の脇の小さなチケット売り場だった。幸運にも明朝バスがあり座席を確保。ひとまず安心して、マカレの町をのんびり歩いてみることにした。なんとなく人の流れに任せて歩くと、マーケットに到着。ここのマーケットの特徴は、コーヒー(*1)を売る店が多いこと。煎った豆や、それをモーターを利用した簡単な粉砕器で粉末にして売っている。さすがコーヒーの特産地だけのことはある。

 翌日は5時半頃に起きてパッキングをし、ホットシャワーを浴びてから、6時過ぎに朝食をとった。この宿(Wisma Maria)の朝食は、胚芽パンのようなトーストが3切れと目玉焼き、フルーツ(バナナ2本かパパイヤ)、それにコーヒーがつく。結構なボリュームで(トーストは2切れしか食べれない)、しかもここのトーストはなかなかいける。とまあ、そんな朝食を満喫してからチェックアウトした。昨日買ったママサ行きのチケットには午前8時発と書かれている。少しばかり余裕を持ってマカレのチケット事務所に行ったが、まだバスは到着していなかった。8時を過ぎてもバスは現れず、8時半になってようやくバスが来て、それから更に1時間出発するまで待たねばならなかった。
 出発後も途中で石(なにやらこの辺りで産する研ぎ石のよう)を幾つも積み込んだり、乗客が野菜を買ったり、サラック(*2)を買ったりしてバスは何度も停車する。左右に大きく揺さぶられながら山道を少しずつ下り、ようやく午後の2時半頃にポレワリに到着。そしてポレワリから、また再び違う山道をママサバレーへと上っていく。この道が曲者だった。未舗装道路のため、スピードは出せないし、上下左右に揺さぶられること甚だしい。
 地図でみた限りでは、ポレワリからママサまで100キロ程度に思えるが、実際は7時間位かかった。バスの平均時速は時速20キロにも達していないではないか!ママサに着いたのは、午後10時過ぎ。途中何度も停車や休息があったとはいえ、13時間もバスに乗り続けるとさすがに疲れる。バスを降りると夜も更けたママサの村はしーんと静まり返っていて、ドライバーに教えられたホテルの門も閉まっていたが、「ハロー」と呼び門を揺さぶったりしてなんとかチェックインできた。この日の移動は予想よりもかなり時間がかかっただけに、記憶に残るなかなかハードな移動だった。

 ここママサ郡(郡でいいのかな?)はポルマス郡から独立した郡(?)になりまだ1週間だという。そして今日は、この村に初めてその行政の長が赴任するらしい。そのため村では彼の就任を祝い村の広場で式典を準備していているとのこと。そのように、このホテルの息子は教えてくれた。そう言えば、昨日来る途中の道端には横断幕や、家の前には国旗が飾られていたのも、そんな理由からなのかもしれない。
 そして、彼は、「ママサ郡がポルマス郡から独立した行政区域となったので、その中心であるこの村はインフラ的にも近い将来整備されるだろう」と期待を込めて言っていた。確かにポレワリからママサまでの道路が舗装されるようになると随分と違うのかもしれない。観光客も少しはランテパオからこちらに流れてくる可能性も十分考えられる。ちなみにこの時のママサ村は、村の中心にサッカーフィールドというか空き地(広場ともいう)があり、宿が中心に数軒と村から少し離れたところにリゾート風コテージが2つ、商店が数軒、他には小さな郵便局と警察署、そしてモスクとキリスト教会が1つずつ、といったところ。銀行は見当たらない。ママサは、静かな田舎の小さな村だった。

ランテ・ブダのトコナンハウス
約300年前に建てられた大きなトコナンハウス
伝統文様を施された家
壁面の椅子で家の大きさがわかるだろう
 ママサ周辺にもトコナンハウスがあるというので、途中何度も道を尋ねながらランテ・ブダ村を訪ねてみた。ママサからは徒歩で約1時間弱でそのトコナンハウスに到着。その屋根を支える大きな太い柱には驚かされる。こんな太い木が、かつてはこの辺りにも生えていたのだなあと感心する。壁や柱には、どこか幾何学模様にも似たトラジャ族独自の美しい装飾が施されている。更に感心したのは築後300年ほど経っているが、未だにちゃんと使われていること。
 家主の好意で家の中に入れてもらい、紅茶までご馳走になった。私の怪しいインドネシア語で会話したところ、やはりこの大きな古い建物を維持することは大変なことらしい。外から見ると、屋根の一部にトタンを使用して雨漏りを防いでいる様子。そのことを聞いてみるとやはり経済的理由とのこと。
 この家に住む一族も、かつてはこの地域の有力者としてこのような立派な家を建てられたけれども、現在はかつてほど生活にゆとりがないように見受けられる。やはり貨幣経済が浸透し十分な安定した現金収入を持たぬ者にとっては、暮らし難い世の中に変化してきているのだろう。ママサバレーの住民の殆どは農民だろうが、それを換金するには遠くポレワリの町までバスに乗り1日かけて行かなくてはならない。まあ、コーヒー等の農作物を買い付けに来る商人もいるだろうが、その分安く値切られるのではなかろうか。そんなことが頭に浮かんだりしながら話をしたのだった。そして家を去る際に、お礼として10,000ルピア渡してきた(*3)。ランテパオのトコナンハウスを見慣れた私にとっては、ママサのトコナンハウスは新鮮に見えたし、何よりも実際に使われているということでより興味を覚えたのだった。

 そしてもう1軒、近くの村のトコナンハウスを訪れてみた。ここのトコナンハウスは先ほど訪れたものより、大きさとか装飾の美しさではかなり見劣りしたが、家主のお婆さんは歓待してくれ、家の中に招き入れてくれて紅茶と手作りの素朴な味がするお菓子を出してくれた。そして帰り際には、その残りのお菓子を新聞紙に包んで私に無理やりもたせてくれ、なんだか日本の田舎に住む知り合いのお婆さんでも訪ねたかのような気分がした。まあ、家を見学させてくれたお礼に同じく10,000ルピアを渡しはしたが、そのお婆さんの暖かな心遣いが感じ取れ胸が熱くなったのだった。

 それから村に戻りホテルの近くの食堂で遅い昼食をとっていたら、その食堂の60歳くらいの主人から話しかけられた。私が日本人だとわかると、その主人はこの町の過去のことについて少し話してくれた。かつて、ここは「花の町」と呼ばれていたのだと。それは第2次世界大戦の頃で、まだ日本軍が大東亜共栄圏だとか主張してアジアの各国に侵略していた時のことだ。スラウェシ島の山奥であるこの地も日本軍の統治下にあり、殆どすべての家の前は美しい花で彩られた庭があったのだと。そんなわけでここママサは花の町と呼ばれ有名だったらしい。だけれど、日本軍が敗走して去ってからは次第に花が植えられなくなり、その美しかった庭もなくなり、現在のようになったということだ。また、彼は日本軍統治時代の方が道路の状態も良かったと言っていた。
 これらの話が本当かどうか、私には分からない。花の町と呼ばれていたということは、まあ考えられる。だが、道路についてはどうだろうか?ちょっと疑問を感じないではない。人の記憶というものは、自分の過去を実際より美化させるということがあるのかもしれない。食後、村をぶらついていたら今度は別の老人にカタコトの日本語で話しかけられた。驚いて日本語で応えると、彼はそれ以上は日本語が分からない様子でただ笑顔を見せていた。きっと、子供の頃、無理矢理日本語を覚えさせられたのかもしれない。それでも、今となっては多少の懐かしみも感じ、私を見て日本語で話しかけてみたのだろうか?
 彼らインドネシアの人々が日本についてどのような感情を持っているのか、その本当のところは私には分からない、だけれど、かつてこの地が日本軍の統治下にあった事実だけは間違いなさそうだった。

 ママサを訪れたささやかな楽しみ、温泉(*4)のほうはどうだったかと言うと、まあ期待はずれだったと言うべきかもしれない。温泉は、寂れたリゾート風コテージの戸外に、ポツンと、季節外れの庭のプールのように存在していた。その温泉はタイル張りで、日本人の感覚では、まさしくプール。残念ながら水着で入らねばならない。また銭湯の湯船大の浴槽には、ところどころ緑のコケが付着している。それでも、久しぶりの風呂ということで、のんびりと旅の疲れを癒したのだった。


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お菓子をくれたお婆さん
お菓子をくれたお婆さん。トコナンハウスの中はこんな感じ。
*1 インドネシアのコーヒーは、完全なる細挽きで、飲むときは粉を濾さない。ワルンでコーヒーを飲むときは、出されたグラス(ガラス製のコップが多い。コーヒーカップを使用しているのいは洒落た店) を数分放置して、粉が下に沈むのを待ってから飲む。人によっては、グラスの受け皿にわざわざコーヒーを注いでから飲んだりする。これは地域差もあるが年配の人がやるようだ。

*2 茶色の栗を少し縦に伸ばし全体に大きくしたような形で、表面は蛇のうろこの様な皮で覆われている。その皮をむくと中は白っぽい固めの果実。水分は少なく、齧ると少し渋いような甘さが口に広がる。インドネシア人の好物。バス移動のときなどよく持ち込んで食べている。ハズレにあたるとかなり渋くて食べれたもんじゃない。

*3 このトコナンハウスは、博物館として保存を目指しているようだが、資金不足に悩んでいる様子。見学者はノートに記帳し、幾らかの寄付を期待されている。

*4 ママサの北東3キロほどのコル(kole)に温泉がある。ママサ川沿いの道を上流に進めば良い。温泉はママサコテージの所有で、入浴料は20,000ルピア(約280円)。ママサコテージは1泊200,000ルピア。ママサコテージ近くにも村人が入る露天風呂(?)があるが、体を洗うだけならまだしも、湯に浸かる気にはなれない。



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